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自宅のガレージから始まった挑戦。新潟から世界基準の技術をつくる。

株式会社システムスクエア
代表取締役 山田 清貴

更新日:2025年6月04日

新潟県長岡市生まれ。国士館大学工学部電気工学科 卒業。
1976年 プリント基板メーカーへ入社。
1983年 マイコン業界のメーカーへ入社。
1989年 株式会社システムスクエア 設立。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

「もっと知りたい」がキャリアを動かした20代・30代の挑戦。

私は新潟県長岡市の出身で、農家の子として生まれました。地元工業高校の機械科を卒業後は大学の工学部電気工学科での学びを通して技術・ものづくりへの興味を深め、新卒で東京のプリント基板生産を手がける会社に就職しました。

入社して2年が経った頃、マイクロコンピューター(マイコン)や目視で検査する画像処理に携わり、「これは今後の産業で必要不可欠な技術になる」と確信します。その経験をきっかけにマイコンのとりことなり、さらに知りたいとの想いから技術が学べそうな会社への転職準備を進めていました。

ところが同時期に在籍企業でアメリカのプリント基板生産工場の立ち上げが決まります。転職先はすでに決めていましたが、「このチャンスを逃すとアメリカに行ける機会はない」と考え、転職はやめて25歳で渡米を決断。アメリカでの最初の1年は更地から工場を建て、日本から持ってきた設備を動かして従業員の教育に注力しました。

そして受注が始まった2年目は、1交代で工場の操業を開始。3年目には工場の稼働が軌道に乗って毎日深夜まで働く日々でした。アメリカで過ごした3年間は、システムスクエアの海外展開をするうえでも重要なベースとなる経験ができたと感じます。

その後、28歳で念願だったマイコン関連企業へ転職し、機器開発やパターン認識装置・画像処理についての知見を深めました。

マイコンの可能性を信じた40年、下請けからメーカーへの成長。

マイコン分野の仕事は非常に面白いものでした。一方で両親からはずっと「地元に戻ってきてほしい」と言われていたため、35歳で長岡へUターンします。しかし、それまでに培った技術を活かせる会社が地元にはありませんでした。それでも「マイコンは必ず未来の産業のベースになる」という直感を信じて自分で起業しようと決めました。

創業当時はお金がなかったので、自宅のガレージからのスタート。社員数名の下請け企業として東京のお客さまから32ビットマイコンの開発を受託し、最初の5年は受託開発で得た資金を自社製品の研究・開発につぎ込みました。

創業から15年ほどは苦しい時代が続き、関東周辺の200社に飛び込み営業をかけて受託開発の受注につながったのが1社ということもありました。それでも少しずつお客さまの困りごとを理解し、マーケティング戦略や経営計画を立てながら「いつかは独自製品を持つメーカーになりたい」という夢を追い続けました。

徐々に製品が売れ始めると、受託開発で得たノウハウをもとに金属検出機とX線検査機の開発に着手。新たな分野への積極的な投資を通じて下請けからメーカーへの転換を実現しました。24歳でマイコンの可能性に気づいて以来、40年以上にわたって最先端のコンピューターや半導体技術を活かした電子機器・検査装置の開発を続けています。

技術に妥協なし!日本発メーカーとして世界で信頼を勝ち取る道筋。

当社は、食品・化粧品・医薬品・生活用品・化学材料などの幅広い分野の生産ラインで活用される金属検出機とX線検査機を開発・販売しています。日本国内では異物検査機のシェア3位(自社調べ)を獲得。海外でのビジネス拡大も精力的に行っており、2024年にはドイツに子会社を作るなどヨーロッパを起点とした動きがさらに活発化しています。また海外の代理店はアジアに11社、ヨーロッパに6社、オーストラリアに1社、チリ・ブラジル・アメリカ国内などに6社あります。

中でもアメリカは製品の品質に対して非常にシビアなので、他国での反応を見たうえで完成度の高い製品に絞って販売する方針にしました。現在では、当社の中でも世界でオンリーワン・ナンバーワンの製品を、現地代理店とともに自信を持って販売しています。

日本と海外のビジネスで大きく違うのは、商談の場に社長やオーナーなどの決裁者が参加するかどうかです。日本では営業が現場の課長や部長にプレゼンを行い、最終決定は社長が下すのが一般的な流れですが、海外では社長やオーナー同士の対話でないと相手にしてもらえません。

商談に参加する海外の最終決裁者は、設備や世界のトレンドをしっかりと把握していることも日本との大きな違いといえるでしょう。良いと思ったらすぐに導入してくださり、他の会社にも勧めるので、まったく接点のない企業からオーダーが来ることもあるなど、情報の拡散スピードは特徴的だと感じます。

「まず形にする」が開発の鉄則。試作と対話で磨く製品づくり。

当社が世界でオンリーワン・ナンバーワンを誇る機械はいくつかありますが、はじめは金属検出機の開発に着手し、1999年に世界初の「2周波検査機」を発売しました。

2周波とは、低周波(鉄系の異物を検知)と高周波(非鉄系の異物を検知)によって、2種類の異物を同時に高感度で検出することが可能な検査機です。この手法により、従来品の金属検出機と比べて格段に高い検出精度を実現しました。

もう一つの主力商品であるX線検査機はグッドデザイン賞を5つ受賞。2018年からAIを用いた開発に着手し、異物検出・商品の割れや欠けなどの形状不良・個数の過不足といった幅広い検査に対応できます。

Ⅹ線を用いた検査は、中身が見えないアルミ包材や缶詰内の異物も検出可能で、近年では液体の中にある異物の検出にも対応したモデルを発表しました。画像処理技術とAIを組み合わせ、複合的な検査が要求される工場で数多く導入されています。

製品開発のこだわりは、お客さまからのフィードバックや要望にしっかりと耳を傾けることです。お客さまと一体にならなければ絶対にうまくいかないので、さまざまなリクエストをもとに自社の持つ技術や新しい技術を組み合わせながら開発を進めています。

お客さまの声から生まれた製品としては、かみこみ検査機(包装資材がのり付けされている部分に食品などがはさまっていないかチェックする製品)があります。

リクエストをまずは形にして、アウトプットを出さなければ反応は得られません。「ここが使いにくい」という声があれば、それに対してどう応えるかが重要です。その過程で、社内では技術者と営業がしっかり対話し、アイデアを交換しながらブラッシュアップします。そうして新しい製品が生まれるサイクルで、オンリーワン・ナンバーワンを着実に積み重ねてきました。

製品開発の長い道のりをともに歩む「ねばり強い仲間」を募集。

私たちが一緒に働きたいと考えるのは、検査機を通して「あらゆる製品を消費者に安心、安全に提供すること」に興味があり、新しいことにも臆せずチャレンジする方、困難にぶつかっても仲間と協力して乗り越えられる方です。

当社は継続的に市場へ新製品を出していますが、製品開発には5年ほどの時間がかかり、販売が軌道に乗るまでの期間を含めると10年というケースも珍しくありません。時にはうまくいかないこともある中で、良い製品を作るためにじっくりと腰を据えて取り組む忍耐力と、難しい場面も「どうやって乗り越えるか」と前向きに考え取り組む方を求めています。

また、近年は国内外の販売網をさらに拡大しており、営業やメンテナンスなどでお客さま対応をする役割も重視しています。特に世界への販売力を向上していくうえでは、積極性のある人が必要です。現地の人ともどんどんコミュニケーションをとり、挑戦し続ける人は魅力的だと感じます。

私自身も創業当時、次々と壁が立ちはだかって心が折れそうな時期もありました。ただ、その壁から逃げたとしても、結局はまた別の場所で似たような壁にぶつかるだけだとわかりました。それなら、自分自身やチームの力を使って壁を崩すしかない。その繰り返しで今があると考えているので、ぜひその仲間になってくれる方とともに働きたいですね。

地域と共に生き、世界を見据える。新潟から未来をつくる会社へ。

社名のシステムスクエアは、「人と装置(システム)が集まる広場(スクエア)」から名づけました。この原点を大切にしながら下請け企業を脱却し、メーカーになるために夢を追い続けてきました。

当社の理念である「Sensing Design Company」のもと、独創的な検出技術を通じて、デザイン思考でお客さまの課題を解決しながら、皆さまの安心・安全な生活に貢献したいと考えています。

近年では国内外で検出技術を開発する企業が増えており、いかに競合よりも優れた性能を保つかはもちろん、市場需要と価格、そして世界展開を見据えた経営計画が重要になっています。

また新潟県に本社を持つ企業として、地域創成も大きな役割の一つです。新潟県の総人口は2024年度に過去最大の減少率となり、近いうちに200万人を切る可能性があります。さらに、大卒者は50%以上が県外で就職していて若手の人材流出にも大きな課題があります。

これは県内に働きたい企業が少ないのが大きな要因だと考えます。また、新潟県の経済を活性化するためには、県外や国外から売上を得て地元にお金を落とす企業も増やす必要があるでしょう。

当社としてもU・Iターンの促進や、住みたくなる・働きたくなる地域づくりの一端を担う企業でありたいと考え、近年では地元の学生への講話などを通して地域企業の魅力を伝える活動をしています。

当社には時代に先駆けた研究・開発環境はもちろん、世界へ検出技術を売り出すうえでも新たな挑戦ができるフィールドがあります。新潟から全国、そして世界へ羽ばたく仕事にやりがいを感じる方、自社独自の技術を通してものづくりの醍醐味や社会貢献の喜びを感じたい方は、ぜひ一緒に働き、互いに成長し合う仲間となれれば幸いです。

編集後記

コンサルタント
芳賀 可南太

山田社長へのインタビューを通じて、ものづくりに対する深い誇りと挑戦心を強く感じました。自宅のガレージから始まった挑戦が、今では新潟から世界へ羽ばたく企業として、地域創成にも貢献しながら、未来を見据えた経営を行っていることに感銘を受けました。

今後も同社が市場と顧客のニーズに寄り添いながら、新たな領域へ挑戦し続ける姿を楽しみにしています。ものづくりへの情熱と成長意欲を持つ方からのご応募をぜひお待ちしております。

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