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新潟から全国、そして世界へ。品質へのこだわりが切り拓いた道。

株式会社港製菓
代表取締役 高橋 裕之

更新日:2024年4月17日

新潟県生まれ。東北大学大学院 農学研究科 修士課程修了。
1983年 明治製菓株式会社 入社。
1991年 株式会社港製菓 入社。
1997年 代表取締役専務 就任。
1998年 代表取締役 就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

東京でのキャリアのスタートから一転、家業へ戻ることを決断。

株式会社港製菓は1936年に創業した餅菓子メーカーです。もともとは私の曽祖父母が家業として酒蔵を営んでおり、そこから私の祖母が分家して新潟に出て菓子屋を開いたのが最初だったそうです。初代は祖母の息子、私から見れば叔父にあたる人で、現在私が5代目として受け継いでいます。

私自身は新潟生まれで高校卒業まで地元で過ごし、大学は仙台にある東北大学農学部に進学しました。でんぷんや消化酵素の研究をしながら修士課程まで修了したあと、東京の明治製菓株式会社へ就職しました。

その頃は家業を継ぐことはまったく考えておらず、明治製菓ではキャンディや錠菓(タブレット)商品の開発を手がけていました。ただ、家業があまり思わしくない状況にあったことと、当時代表だった父も高齢になったことから親族の中で私に白羽の矢が立ち、30歳を過ぎた頃に新潟へ戻って港製菓に入社しました。

入社6年目で踏み出した、経営者としての第一歩。

東京の仕事から家業に入り、大きく景色が変わりました。当時の社員数は40人ほどで、工場で働く人も近所の顔見知りの方が多く、家族的な雰囲気が強い状況でした。また、手作業が中心で商品を作り、お菓子屋さんや問屋さんに販売する卸売が主な業務でした。

私が明治製菓で扱っていたのはいわゆる干菓子で、チョコレートもキャンディも賞味期限が比較的長いものばかりです。しかし当社の主力商品は生菓子ですから、賞味期限が短く悪くなりやすい。そこで入社してすぐ、品質管理室を立ち上げました。私が品質管理室の室長になり、細菌検査をするための機材を揃えて小さな部屋で一人でスタートしました。

その後は会社全体の生産関係の統括などを担当したあと、役員に就任して経営面も学びました。入社6年目に代表取締役専務を拝命しましたが、同時期に会長だった父や経営に携わる親族が次々と他界してしまい、当時40歳だった私が自然と会社を継ぐことになりました。

事業運営に立ちはだかる壁を、人材の力で乗り越えた。

入社当初は「商品の品質を高めれば社業が大きく発展するのでは」と考え、品質管理の取り組みに力を入れました。しかし会社の発展という点では、品質だけ良くても営業力がなければ仕事は増えませんし、工場の運営も含めて「様々な職種の社員が平均的にレベルアップしなければ、会社は上手くいかない」ということに気づき、壁にぶち当たりました。

私は以前勤めていた会社で商品開発をしていたため、営業・製造・管理部門などの仕事をほとんど知りませんでした。そこで他社の食品工場で働いていた人材を積極的に中途採用し、各部門に迎え入れました。その社員たちは今、役員に就任して会社を支えてくれています。

それぞれが前職のスキルを当社に持ちより、上手く現場に取り入れてくれたおかげで当社独自のノウハウを積み重ねることができました。今では私の入社当初に比べて社員数と売上が倍になり、社屋も大きくなりました。

私が社長になってから20数年経ちますが、やはり品質には一番こだわっています。2021年には国際認証であるFSSC22000(食品安全システム認証)を取得しました。これによって海外への販路拡大や学校給食・生活協同組合などへの提案が通りやすくなり、当社の競争優位性につながっています。

安心・安全への徹底した取り組みにより、海外へも販路を拡大。

当社は2023年、47都道府県すべての学校給食に商品をお届けすることができました。学校給食では安全性に加えてアレルギーへの対応も求められるため、2020年から2年かけて工場で小麦を一切使わない体制を確立しました。使用原料はもちろん、二次原料までさかのぼっても小麦がないことから、学校給食で安心して採用いただいています。

海外にも小麦アレルギーの方は多く、健康志向で動物性のものを口にしない方もいます。その点、植物性のものでできている当社の冷凍和菓子は、食事に制限がある方も楽しんでもらえる商品として喜んでいただいています。

近年は海外への輸出の割合が増え、売上のおよそ30%を占めています。特にFSSC22000を取得してからは引き合いが増えました。輸出先としては北米が最も多く、ヨーロッパやオセアニアがその後に続きます。

スーパーなどに並ぶ小売用、レストランの厨房で使う業務用どちらも扱っていますが、コロナ禍以降はテイクアウトで一個ずつ販売するスタイルも登場しました。そこに上手く対応できたことで、ますます輸出が伸びました。

日本国内だけでなく、世界に目を向けるとまだまだお客様がいらっしゃいます。人口の多い地域でいかに当社の商品を食べていただくかが重要ですので、これからますます海外に目を向けて挑戦を続けたいと思います。

港製菓が求めるのは「可能性を追求するチャレンジャー」。

これからの港製菓を作っていくうえで一緒に働きたいのは、守りではなく攻めの人、「少しでも可能性があるならとにかくチャレンジしてみよう!」という考えを持った方です。失敗したとしても、その経験を活かして次につなげる考え方はどの部門の社員にも持っていてほしいですね。

当社はお客様の声を聞くことも積極的に行っていて、東京で年に数回開催される展示会はニーズを汲み取る絶好のチャンスです。これらのイベントで営業担当者に寄せられた声は、必ず社内で共有します。

「こんな商品があったらいいな」とか「この商品はここを変えたらもっと良くなるのでは」という意見をもとに、「じゃあ、やってみよう」という身軽さがあるのが当社の特徴です。

やってみてダメなら次の手を考えればよい、「とりあえずやってみよう」という精神を何よりも大切にしているため、これから入社する方も前向きで推進力のある人と一緒に仕事をしたいと思います。

前向きに、着実に。100年を目前に港製菓の挑戦は今後も続く。

コロナ禍は当社にとって非常に追い風となった期間でした。一般的に和菓子といえば常温でのみ売っているものでしたが、巣ごもり消費の高まりから冷凍商品が身近になり、冷凍和菓子にも興味を示す方が増えたからです。

当社が1970年代に研究・開発から発売までこぎつけた冷凍和菓子の技術が、今では学校給食・生協・海外へと販路を拡大させる足がかりとなりました。今後はスーパーでの販売拡大を通して「港製菓ブランド」をさらに一般のお客様にも広めるため、工場の増産体制を整えて人材も積極的に採用したいと考えています。

2000年当時に比べて社員数が倍になり、今後も良い人材を継続的に採用し育成するには、やはり社員が同じ目標に向かってベクトルを一つにすることが重要です。最近では人事評価制度の拡充に取り組み、個人の評価を見える化してさらに社員が活躍できる現場づくりを実施しています。

また、社内報での情報発信や社員同士が交流できるイベントを開催してコミュニケーションが活性化するきっかけの提供にも力を入れています。

これから日本の人口が減っていく中で、国内で勝負するにしろ、海外に進出するにしろ、オリジナリティと開発力、そしてお客様のニーズをとらえる力が何よりも重要となります。お客様の声に耳を傾け、できることがあれば何でもチャレンジする。仮に二歩進んで一歩下がっても、失敗から手がかりをつかめばいい。そんな風土があるのが当社の強みです。

当社の社歴はまもなく90年を迎え、100周年も視野に入ってきました。私は「菓子屋は100年で一人前」だと考えているので、港製菓は歴史の長い他社に比べればまだまだひよっこです。100年という一つの大きな節目に向けて、これからも前向きかつひたむきにお客様のニーズに向き合い、一歩一歩進んでいく会社を社員とともにつくっていきます。

編集後記

コンサルタント
芳賀 可南太

同社が長年培ってきた「冷凍和菓子」というオリジナリティと開発力を武器に、品質にこだわり、食事に制限がある方も楽しんでもらえる商品として新潟から世界に発信されている点が非常に魅力的に感じました。

お客様の声を大切にし、「とりあえずやってみよう」という精神で前向きに進まれている高橋社長が非常に印象的でした。これからも100年という一つの大きな節目に向け、チャレンジ精神をもって進み続ける同社の取り組みが楽しみです。

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