株式会社タダフサ
滝沢和仁さん(仮名・番頭) 35歳
業種も職種も初挑戦。世界も注目する包丁工房の「番頭」に。
コピーライター、まちづくりNPO、スポーツクラブチーム運営と、東京でキャリアを重ねてきた滝沢和仁さん(仮名)。一見、関連性の薄い職歴に見えるけれども、詳しく話を聞けば「情報発信」や「まちづくり」といったキーワードが浮かび上がってくる。それは、本人曰く「好きになってもらう仕事」を続けてきただけだ。
そんな滝沢さんが、35歳を前にして故郷である新潟に帰ろうと決断した時に選んだ会社は、なんと燕三条の包丁工房だった。地域に根ざし、地元を大切にしながらも、世界中にファンを持つ包丁工房。その事業全体を見渡す「番頭」の仕事は、滝沢さんがこれまで積み重ねてきたスキルを活かせる場であり、「もっと勉強してこの仕事で成長したい」と思わせるチャレンジの場でもあった。
(※本記事の内容は、2016年1月取材時点の情報に基づき構成しています)
- 過去の
転職回数 - 3回
- 活動期間
- エントリーから内定まで180日間
転職前
- 業種
- スポーツクラブチーム運営
- 職種
- NPOの事務局運営
- 業務内容
- 事務局として運営全般に幅広く関わる
転職後
- 業種
- 老舗の包丁メーカー(工房)
- 職種
- 番頭
- 業務内容
- 生産管理、広報、WEB管理、対外折衝全般、イベント出展など多岐に渡る
35歳を前にUターンを決意。企業理念に共感した会社へ。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
新潟県三条市の老舗包丁メーカーに、「番頭」として入社しました。もともと社長が一人で切り盛りしていた仕事をサポートするのが番頭の役目なので、仕事内容は多岐に渡ります。生産管理、広報、サイトやSNSの管理、助成金申請、外注管理、店舗での販売業務、イベント出展など、経理以外は何でもやっているといっていいと思います。
また、地域イベントの運営に携わることもあります。その一例が、質の高い金属加工で知られる燕三条地域のものづくりの現場を、一般の方々が見学・体験できる「燕三条 工場(こうば)の祭典」というイベント。社長が発起人ということもあり、私も運営のサポートに携わりました。2015年10月に開催した第3回「工場の祭典」には、全国からおよそ1万9,000人が訪れています。今後、こうした地域のための仕事の比重は増えていくのではないかと思います。
入社前のご経歴を教えてください。
新潟市の出身で、東京の大学を卒業後、そのまま東京の印刷会社に就職しました。コピーライターとして、チラシやダイレクトメールなど販促物の企画・制作、ウェブサイトの企画運営、営業サポートと幅広く経験しました。
約6年勤めた頃、ボランティアで参加していたまちづくりと環境美化啓発のNPO法人の事務局に誘われ転職。運営拠点の全国拡大とそのネットワークづくり、スポンサーとの折衝などが主な仕事でした。
ここで数年働くなかで、別のNPO法人に請われ再び転職します。地域に根ざしたスポーツチームの運営をしているNPOで、市役所や地元の商店街と近い距離で仕事ができるのが魅力でした。
転職のきっかけは?
東京での生活は気に入っていましたし、仕事も新しいチャレンジをしながらやりがいを感じていました。ただ、生まれ故郷である新潟にいずれ帰ろうという思いも、常に持っていました。あまり体が丈夫でない父のことも気がかりでした。
中途採用の求人年齢の上限の多くが35歳ということを考え、33~34歳の時に「このタイミングかな」と決心し、新潟での就職先を探し始めました。
転職活動はどのように進めましたか?
ハローワークにも行きましたが、一番の情報源になったのは表参道のネスパス(新潟県産品の販売や新潟の観光情報・就職情報を提供するアンテナショップ)です。そこで行われたリージョナルキャリア新潟主催のU・Iターン転職イベントに参加し、登録しました。
イベントではU・Iターン転職の成功事例が紹介されたのですが、新潟にもしっかりした会社が数多くあることを実感でき、心強かったのを覚えています。
今の会社に決めたポイントは?
リージョナルキャリア新潟に登録した後、担当の方が企業を紹介してくれたのですが、私は「できれば全国規模で名の通った会社を」という条件を出していました。それに対し、条件に合致した企業の資料に加えて、「滝沢さんにはこんな企業も合うのではないかと思うのですが」と紹介されたのが今の会社でした。
資料を見てみると、企業の方向性がいい。自分が公共性のある仕事が好きなことはわかっていましたから、「地域の雇用を生み出す」「地元の子供たちの憧れとなるべき仕事に」という企業理念に魅かれたのです。「番頭」という、いわば「なんでも屋」の職種も、これまで自分がやってきたことをすべて活かせると思いました。
社長との面接時に「当社とはまったく毛色の違う経歴ですね」と言われたのですが、私は「『好きになってもらう仕事』という意味では同じです」と答えました。「商品を好きになってもらうコピーライター、街を好きになってもらうNPO、チームのファンを増やすクラブ運営という仕事の経験を活かして、今度はいかにタダフサの包丁のファンをつくるかを考えます」と。
地方での新しい発見は、東京の刺激より面白い。
転職していかがでしたか?
入社して半年は、現場を知るため、工房で職人と同じく包丁製造を行いました。そこでは持ち前の不器用さが発揮され、手が傷だらけになりました(笑)。今はサイトやSNSの管理などデスクワークが中心で、自分の思うように進めさせてもらっています。
当社の製品は評価が高く、いろいろな賞も受賞しているのですが、そういった情報をプレスリリースという形でしっかり発信するのも私の仕事です。また、工場併設の直営店のオープンに際しては、ショップカードや広報物、サイトの制作を任せてもらい、これまでの経験を活かせていると感じます。
生活面での変化はいかがですか?
妻と娘二人を連れて、両親と祖母と妹の住む新潟市の実家に戻りました。幸い十分な広さのある実家なので、二世帯住宅にリフォームして新しい生活を始めています。刺激の多い東京での暮らしが長かったので、まだ慣れない部分もありますが、子どもたちはのびのび過ごしていると思います。ただ、どこへ行くにも車に乗ってしまう生活なので、運動不足になりますね(笑)。
困っていることや課題はありますか?
課題としては、仕事に関してもっともっと勉強しなければ、この先の自分の成長はないと感じています。本を読んだり、地元でのネットワークをつくるなどしてインプットを増やさなければ、アウトプットできるものがいずれなくなってしまいます。
ありがたいことに、ブランディングや販路開拓に関する勉強会に参加する機会もいただいています。実績のある経営コンサルタントを招いての勉強会なので、商品開発や流通など、これまであまり縁のなかった分野についても学んでいきたいと思っています。
転職してよかったと思うことは?
三条市という地方の小さな街にいながら、仕事は世界規模で考えられることです。当社の取引先の3割は海外の企業ですし、地域としても海外との取引が増える傾向にあります。まだまだ「新潟県民は保守的」と感じることはありますが、地方からでもいろいろチャレンジすれば、もっとビジネスチャンスはあるはずです。そういう意味でも、当社の存在感で地域を引っ張っていければと思います。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
いつか転職をしたいと思っていても、最初の一歩が踏み出せないという人は多いのではないでしょうか。でも、その一歩を踏み出して飛び込んでしまえば、あとは目の前のことを頑張るだけ。一生懸命に、楽しんで仕事をすれば、失敗はないと思っています。
東京はもちろん面白い街ですが、地方で自ら動いて見つける発見の方が面白いと今は思います。新しい発見が、新しいやりがいや新しい使命感を生み、そこからまた新しい出会いが生まれます。それは、実際に地元に帰ってみて、面白い会社で仕事をしてみてわかったことです。