新潟から世界に輝くニッチの頂点。ステンレスに込める誇りと挑戦心。
和田ステンレス工業株式会社
代表取締役社長 和田 克行
新潟県生まれ。東京国際大学商学部卒業。
1985年 経営コンサルティング会社入社。
1990年 和田ステンレス工業株式会社入社。
2006年 代表取締役社長就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
燕三条の地で60年以上にわたりステンレス加工のDNAを守り継ぐ。
私が生まれ育った新潟の燕三条地域は、400年以上前の和釘づくりに端を発するステンレス製品の生産地として知られています。特に燕市は国内の金属洋食器の90%を生産する中心地で、子どもの頃は町全体がひとつの巨大な工場のように活気に満ちていました。
その地に1934年、祖父・作治が和田鍛造所を創立し、洋食器製造を開始。1964年には和田鍛造工業として会社組織化されました。その後、東南アジア諸国の台頭で洋食器製造が衰退すると、1980年に和田ステンレス工業と社名変更し、ステンレス製魔法瓶の量産へ転換。日本酸素(現サーモス)の注文を受け、魔法瓶のステンレス素地作りは最盛期に売上の半分を占めるまでに成長しましたが、生産拠点の海外移転に伴い1990年代に入ると激減しました。
一方、1985年からはステンレス製工業用容器の量産も開始しており、半導体用高純度薬品容器の注文が増加。このように、時代と環境の変化に応じて製品や事業内容は大きく変わりましたが、ステンレス加工という会社のDNAだけは一貫して守り続けています。1963年生まれの私自身も、まさに会社と共に歩んできた人生だといえるでしょう。
作業服に身を包み学んだ、製造現場の厳しさと魅力。
私は大学卒業後、すぐに家業を継いだわけではありません。正直言えば、「会社を継ぎたくなかった、会社が嫌だった」というのが本音です。
そのため、東京の大学を卒業後、経営コンサルティング会社に入社。金融志望の文系人間でしたが、思い返すと、ここでの5年間の経験が今の経営にも生きていると感じます。さまざまな業界や経営者に接する中で客観的な視点が養われ、経営者は社員以上に学び、変化を捉える感性を磨き続ける必要があると痛感したのです。
その後、1990年、28歳の時に実家に戻り、現在の会社に入社しました。父の「現場を知らなければ経営者にはなれない」という言葉に従い、製造部員としての現場からのスタートでした。
スーツから作業服に着替え、ボルトの回し方すら分からない日々。常に社長の息子として見られる厳しさもありましたが、次第にものづくりの楽しさに目覚め、現場こそヒントの宝庫だと気づきました。
環境やニーズの変化を最初に感じるのは常に現場です。今でも機会があれば現場に出て従業員とコミュニケーションを取ったり、製造工程をチェックしたりしています。
黒子のダンサーとして。産業の舞台を支える技術の結晶。
当社の主力製品は、半導体製造装置用の超高純度品/タンク、EVバッテリー電解液充填容器、医療用ステンレス容器、そして一般消費者に馴染み深いビール樽です。
特にビール樽においては国内シェア8〜9割を誇り、国内すべてのビールメーカーに採用されています。居酒屋で生ビールを注文すれば、ほぼ間違いなく当社の製品が使われているでしょう。
ビール樽には高精度の寸法加工、漏洩しない溶接技術、屋外でも腐食しない表面処理技術が求められます。当社の強みは素材からの加工、溶接、表面処理、洗浄から組付けまでを同一工場内で一貫生産する体制にあり、各工程を長年の経験を持つベテラン社員の高い技術力が支えています。
私たちは「ステージの主役ではなく、裏で支える黒子のダンサー」という立ち位置です。自社ブランド製品は持たず受託生産に徹していますが、ニッチトップとして業界で確固たる地位を築いています。
取引先の7割は上場企業関連で、国内主要化学メーカーはほぼ全社と取引があり、一部顧客からは2030年までの注文予定が組まれるほどの信頼関係を構築しています。お客さまから「ワダさん、やめないでね。代替するサプライヤーがいないから」と言われるほどの信頼を得ているのです。
長年にわたる安定経営の秘訣。システム化された技術と顧客中心の経営哲学。
入社してからの35年間、当社は一度も赤字決算を出していません。つまり、私は赤字を経験したことがないんです。この実績の背景には、「会社の仕組み化」があります。
町工場的な組織からの脱却を目指し、1999年にISO9002、2006年にはISO14001を取得。我流のものづくりから、システム化された知恵・ノウハウの共有へと発展させました。
当時は職人ごとに技術や管理方法が異なり、オープン化には抵抗もありましたが、結果的に組織力が向上しました。社内情報システムも構築し、受発注から生産管理までをオンライン化。会社の基本スローガンは「社員の品質」「仕事の品質」「製品の品質」という三つの品質向上です。
物の品質も人の品質も根本は同じであり、品質への妥協なき姿勢が長年にわたる黒字経営を支えています。
当社の組織図は独特で、トップは社長ではなく顧客。社長や管理部は顧客と営業の関係をサポートする位置付けです。「お客さまの声が最大のマーケティングリサーチ」という考えのもと、日ごろから営業担当者には「社長の顔色ではなく、お客さまの顔色を見よ」と伝えています。
路地裏をくねくね進む中小企業の生き方。ニッチトップ戦略の真髄。
当社の経営戦略は「ニッチトップ」です。これは、大企業が参入しにくい市場で圧倒的シェアを獲得する戦略です。ビール樽は後発参入でしたが、ビール消費が減少すると大手メーカーが撤退。当社は多岐にわたる工業用容器を手がけていたからこそ、この市場で生き残ることができました。
私たちのような中小企業は「規模拡大路線」ではなく、工夫を凝らした生産を極めるべきです。当社の生き方は「節操がないほど路地裏をくねくね曲がりながら、それでも前に進む」というもの。医用機器や先端半導体を製造する上での材料や溶剤はこれからも安定成長していくはずです。
当社のステンレス加工技術は単に加工、接合技術だけではなく、表面処理、洗浄技術など全ての工程をカバーし、一貫生産を実現できます。またモノづくりだけではなく、各種法的規格取得などモノづくりとその周辺サービスの充実を図ってきました。
これからも経営環境の変化は常に起きますが、培ってきたステンレス加工技術を大切に、事業展開の軸はぶれないように心掛けています。私自身、長年の経営を通じて、「経営の世界に答えはない」と学び、100点満点を目指す必要はなく、課題のある方が成長できると気づきました。
これからも変化を恐れず、社員と共に成長し続ける会社でありたいと願っています。
学歴より情熱、年齢より技術。社員が誇りを持てる職場環境。
当社が求める人材は、前職や学歴ではなく、ものづくりへの情熱と成長意欲を持つ方です。私自身、文系出身でボルトの回し方すら知らないところからスタートし、今ではこの仕事に大きな誇りを持っています。キャリアチェンジをお考えの方も未経験からの挑戦を全力でサポートします。
当社の特徴は定年制がないことと雇用契約が正社員(正規雇用)であることです。60~70代の方、子育て世代の方も、パートタイマーではなく全員正社員で活躍しています。
特に、U・Iターンをお考えの方にとっては、燕三条という地方都市で「やりがいのある仕事」と「安定した生活」の両立が可能です。私たちが目指すのは、単に利益を追求するだけでなく、社会に貢献し、社員一人ひとりが誇りを持てる会社組織にしたいと考えています。
当社の強みは、教科書にない現場発のアイデアと、ベテランと若手が共に学び合う環境、そして長年実質無借金で展開している安定財務基盤です。前職でのスキルも大切にしながら、新たな可能性を一緒に追求しましょう。
地方でありながら、台湾・韓国など海外市場への展開も進め、グローバルな視点も養える環境です。新しい土地、新しい仕事での可能性を当社で開花させてみませんか。まずはお気軽に工場見学にお越しください。