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“グローバル”ブランドを守り抜く。さらなる進化を目指す原動力とは。

吉田金属工業株式会社
代表取締役社長 渡邉 正人

更新日:2024年7月24日

新潟県生まれ。東京農業大学卒業。
1986年 関東圏の食品メーカー入社。
1997年 新潟市内の食品メーカー入社。品質管理・生産管理に従事。
2009年 吉田金属工業株式会社入社。
2016年 代表取締役社長就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

創業者である父の想いを受け継ぐため、食品メーカーから転身。

吉田金属工業は、1954年に私の父がステンレス製カトラリー(金属洋食器)のメーカーとして創業した会社です。当時は鋼製が一般的だった包丁をステンレスで作る技術を開発し、1983年にようやく生み出した「オールステンレス一体構造包丁『GLOBAL(グローバル)』」は、現在世界中のキッチンで使われています。

お客さまにはよく「吉田金属工業なのに社長は渡邉さんなんですね」と言われますが、社名は会社がある旧吉田町の地名が由来です。現在合併によって新潟県燕市に変わってしまいましたが、「昔から金属加工が盛んだった吉田町をこれからも後世に伝えたい」という地域貢献の気持ちが込められています。

私は創業家の三男として生まれ、当初は会社に入る予定はありませんでした。大学進学とともに東京へ出て、関東圏の食品メーカーに10年、Uターンして新潟市内の食品メーカーに10年勤め、食品の品質管理・生産管理に長く携わりました。

私が入社直前の吉田金属工業は、現場から経営者になった人材や、融資関係の取引先として関わりのあった人材などが社長を務めていましたが、父はかねてから「やはり創業家の責任として役員に携わる人間が必要だ」と考えており、2009年に私に白羽の矢が立って入社しました。

資格取得の学びが「家業の立て直しのヒント」に。

大学進学時に地元を離れて関東で暮らしていましたが、すでに20代の頃から「30歳になったら新潟に戻ろう」と心に決めていました。私にとって東京・横浜は、一時的に仕事をしたり遊んだりするには良いところでしたが、ずっと暮らすことはイメージしづらく、やはり地元への想いはありました。「離れて初めてふるさとの良さがわかるとは、こういうことか」と実感しました。

2社目で新潟市内の食品メーカーに勤めて9年経った頃、中小企業診断士の資格を取りたいと思い立ち、勉強を始めました。しかし学科試験の内容が非常に難解で、働きながら独学で合格するのは難しいと考え、勉強に本腰を入れるために退職を決意します。

その頃は、資格を取ってさまざまな会社に経営のアドバイスをして役に立つことを目標としていました。創業者である父の影響なのか、「自分で何か事業をやりたい」という気持ちがあったのかもしれません。

中小企業診断士の勉強を本格的に始めてから2年が経った頃、吉田金属工業への入社が決まり、経営企画室に配属されました。同時期に社会保険労務士の勉強をしていたこともあり、財務健全化や5S活動の場面などで資格の勉強が大いに役立ちました。さまざまな面から会社の経営を見直し、少しずつ知識を実践に移す中で「今まで学んだことは無駄ではなかった」と感じられたのは嬉しい経験でした。

組織風土の違いに戸惑いつつも、少しずつ経営改革を重ねた。

父の経営者としての背中を子どもの頃から見て育ち、「中小企業の社長って大変なんだな」とぼんやり思っていましたが、実際に入社するとそれは確信に変わりました。

長く負債を抱えていた会社でしたが、父は地域に知り合いが多く人望もあったことから、借金をしながらもなんとか信頼をつないで事業を続けてきたようです。ちなみに、最終的に代表を引退するときには、実質無借金でした。

それまで働いていた食品メーカーとは企業体質が大きく異なり、最初はカルチャーショックの連続でした。少しずつ職場改善と組織改革を進め、入社直前に完成した新社屋建設のための借入金返済と同時に財務面の健全化を進めました。

私が入社した当初、社内には「創業家の三男が入るらしい」と不安視する声もあったようです。しかし、できることから少しずつ改善を積み重ねていくと、徐々に理解を示してくれるようになりました。

そして2016年、私が5代目の社長のバトンを受け継ぎました。父やその後を継いだ歴代社長たちが守り育ててきた『GLOBAL』ブランドのおかげで、今ではかなり経営環境が改善して財務も安定しています。これからもブランド・組織ともにさらに進化していくために、社員と協力しながら事業を着実に成長させていくつもりです。

父に学んだ「社員第一」の考え方は社員育成にも活きている。

父はいつでも社員を一番に考える経営者でした。その姿を見てきた私も、会社とは当然そうあるべきだと考えています。社員とその家族の生活を守り続けるためには、しっかりと事業を次世代へつないでいかなければなりません。これからは経営のバトンを渡すことを見据えて、会社を支える人材の育成も視野に入れています。

当社が現場で一緒に働きたいのは、ものづくりが好きな人です。今は現場作業の機械化が進みつつありますが、機械化をする際にものづくりの基本がわかっていないと、どこを自動化するのが最適なのか判断できません。ですから、ものづくり自体を楽しむことができ、興味や好奇心・強い意思を持って仕事に取り組める人がいいですね。

経営層や管理職としては、社員の気持ちを大切にする人と一緒に組織を作りたいと考えています。近年では、中途入社の社員にリーダー層の仕事を任せることも増えました。当社では3ヶ月に1回、各部署の管理職と次長クラスを対象としたマネジメント研修を実施しています。安心して働ける職場づくりについてみんなで考えを共有することで、少しずつ社内が良い雰囲気になってきた実感があります。

次の5年、10年を担う人材を育てながら、新卒・中途採用で新しい人材を積極的に迎え、組織の活性化に取り組んでいきたいと思います。

これからも地域とともに歩み続ける吉田金属工業。

当社のブランド『GLOBAL』は、発売から40年以上経った今も、おかげさまで多くのお客さまにご愛用いただいています。最近では、吉田金属工業よりも「グローバル」という名称の方が広く知られ、「社名変更をしたらどうか」と言われることもあります。

しかし、当社は創業からずっと旧吉田町で事業を続けてきました。社名には地域を愛する気持ちや貢献したいという気持ちが込められているため、変更は考えていません。今ではこのあたりに吉田町があったことを知らない世代も増えていますから、当社が吉田という名前を守り続ける存在でありたいと思います。

また、新潟県内の子ども食堂への支援をはじめとした地域貢献活動も積極的に行っていくつもりです。吉田金属工業は、これからも地域とともに発展し続ける会社を目指します。

編集後記

コンサルタント
皆川 暁洋

非常に穏やかな雰囲気をまとう渡邉社長ですが、熱い想いを感じるインタビューでした。料理をする方なら誰でも知っている『GLOBAL』ブランドに寄り掛かることなく、社員を育てながら地道に事業を強くしていく姿勢に大変感銘を受けました。

さらには「旧吉田町の名を語り継ぐ存在であり続けたい」という考え方は、地方である新潟でビジネスをやっていくうえで大きなモチベーションになり得ると感じました。地域、社員と共に「ものづくり」企業として今後のさらなる発展を確信いたしました。

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