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製造現場から会社の風土を改革。おいしい米菓を作り続ける秘訣。

岩塚製菓株式会社
代表取締役社長COO 槇 大介

更新日:2024年6月05日

新潟県生まれ。
2002年 大学卒業後、関東の小売業会社 入社。
2006年 岩塚製菓株式会社 入社。
2023年 代表取締役社長 就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

地域住民の収入の安定を目指してスタートした岩塚製菓。

岩塚製菓は私の祖父が友人とともに興した会社です。1947年に岩塚農産加工場として創業した当時、会社があった岩塚村(現在の長岡市)では農業が主な収入源でした。しかし、冬は豪雪により作物が育てられず、秋の収穫を終えると次の春まで出稼ぎに行く人が多かったのです。

そこで祖父と友人は「家族そろって冬を越し、出稼ぎに行かなくても暮らせる地域にしたい」と考え、農作物を加工する事業を始め、2024年で創業77年目を迎えました。2023年に私が5代目の代表を受け継ぎましたが、私の最初のキャリアは小売店でした。

大学卒業後に関東のスーパーへ就職し、配属されたのは惣菜コーナー。近年は惣菜を買う人が増えて種類も非常に豊富ですが、当時は売上規模がそれほど大きくなく、惣菜コーナーは主にパート従業員と限られた社員だけで回していました。

若手だった私もパートスタッフの労務管理を含めて幅広い業務を経験し、とても学びが多い職場だったと思います。そのスーパーで3年ほど勤めた後、2006年に岩塚製菓へ入社しました。

2011年「国産米100%」へ転換。被災地支援にも力を注ぐ。

入社して最初に経験した仕事は、飯塚工場での仕込み作業です。その後に1年ほどかけて、製造工程・生産管理・原価管理などの業務を担当しました。東京東支店に配属されてからは当社が技術提携をしている台湾の食品メーカー「旺旺(ワンワン)グループ」の中国拠点にも2年ほど赴任しました。

再び東京に戻って広域流通部の業務をしていた2011年、東日本大震災が発生しました。2004年の新潟県中越地震では当社も壊滅的な被害を受けた経験があり、被災地のために何かしたいと考えた社員たちが、被災地を訪問しておせんべいを届けました。

また、「明日へつなごうプロジェクト」として被災地の子どもたちとともに商品開発を行い、その売上の一部を被災地域の教育資金として役立てる活動にも取り組みました。

東日本大震災と同じ頃、当社は「全商品を国産米100%で作る」という経営方針を打ち出しました。当時は中国やアメリカから安い原料米が入ってきており、他社は輸入米を主原料にして安価な商品を作っていましたが、それと同じことをしていても当社らしさは発揮できません。そこで差別化戦略として、社運をかけて国産米100%に舵を切りました。

苦しい赤字の時期を乗り越え、ようやく品質が評価されるように。

国産米100%の決断をしてしばらくは、他社と値段で比較される苦しい時代が続き、赤字が連続したこともありました。しかし現在、猛暑や異常気象によってお米の収穫量が減り、醤油や味噌メーカーと原料の取り合いが発生したことで、お米の価格が上がって商品の値上げを余儀なくされています。

一方で、当社は国内の契約農家から安定して良質なお米が確保できるため、いつでも安心安全な米菓を提供できます。ここ数年はますます国産米の使用を評価していただけるようになり、値上げをしない企業努力も含めて市場での競争力につながっています。

もともとは多品種小ロットの生産を得意としてきた当社ですが、赤字を脱出するために商品数の絞り込みも行いました。一つのラインで複数の商品を作るのではなく、主力商品に特化して安定的な供給体制を作り、欠品や原価割れを防ぐことで徐々に黒字へと回復していきました。その過程で、入社当時に担当した製造や生産管理の現場経験が非常に役立ったと感じています。

お客様と社員の声に寄り添い、製造現場の風土を変えていった。

商品数を減らす取り組みをした後、製造本部長としてさらに一歩踏み込んだ現場の改革に乗り出しました。その頃は大手コンビニチェーンの商品で回収事故を起こしてしまい、信頼回復に奔走していた時期でした。

当社はメーカーですから、製造現場が正しく機能していることが会社として何よりも重要な基盤です。そこで、まずはお客様と社員の声を聞くことから始めました。その中で見えてきたのは、製造現場で意見を言いにくい雰囲気があるという課題です。

問題があるとわかっていても言い出せなかったり、会社に迷惑をかけずになんとか現場レベルで解決しようとしたりする状態がありました。生産現場で起きた問題がお客様のお申し出につながっていることもわかり、この雰囲気を変える必要があると考えました。

毎日工場を回って社員と話し、どんな小さな課題もきちんと聞くことを心がけると、少しずつ現場の空気が変わっていきました。「みんなで品質を良くしよう、お申し出を減らそう」という意識が生まれ、しっかりと問題の原因究明をして解決する方向にシフトしたように思います。

ダメなものはダメ、必要なものは必要だと言える雰囲気になると、若手も積極的に現場の改善に関わるようになりました。当社が年2回開催している「改善事例発表会」では、20代、30代の社員も業務の課題解決について素晴らしい取り組みを行っています。

「真摯さを持ち、人との繋がりを大切にする人材」と一緒に働きたい。

当社のようなメーカーは、人と人との繋がりを大切にし、どれだけお客様から愛されるかが大事です。社長や役員がいくら問題を解決したいと思っても一人では何もできませんし、上から「あれをやって」と言うのも意味がありません。

現場にはその道のプロがたくさんいますから、社員みんなの力を借りて自分ごととして職場の問題を解決してもらうのが一番の近道だと思います。

当社が一緒に働きたいと思う仲間は真摯さを持っている人です。真摯さがあればお客様にも現場の課題にも正しく向き合うことができます。お菓子を作るメーカーは世の中にたくさんありますが、その中でも「岩塚製菓がいい」と言っていただくためには、やはり人と人との繋がりを常に大切にする姿勢が重要だと考えています。

2020年12月、記録的な豪雪によって関越自動車道で2,000台以上の車が立ち往生した際は、渋滞に巻き込まれたトラックの運転手が積み荷のおせんべいを配ったことで、当社に注目が集まりました。渋滞によって納品の予定がなくなったことから、その場の状況を考慮し当社で判断したという流れです。

日頃から社員が自分ごとで考える風土があり、人との繋がりを大切にしていたからこそ、自主的に判断して困っている人のお役に立てた事例だと思います。

高品質・原料へのこだわりを貫き、おいしいお菓子をお客様のもとへ。

24時間365日動いている当社の工場では、社員が自主的に品質パトロールを実施しています。問題点があれば共有し、交代者への引き継ぎも丁寧に行われる仕組みがあり、品質向上に妥協しない姿勢が受け継がれています。

このように「こだわるべきところにこだわる風土」と「国産米100%を貫いてきた実績」こそが、当社の大切にする真摯さです。今後は主力商品に注力し、お客様に愛され続ける商品を少しずつ育てていくことを目標としています。

2021年に増築した長岡工場にはまだ製造の余力が残っていますし、沢下条工場敷地内にある商品開発部門「BEIKA Lab(ベイカラボ)」では、お米を使った新ジャンルの商品企画に取り組んでいます。数年ですぐに成果が出るものではありませんが、時間をかけて着実に取り組めば必ず伸びしろはあります。

私は2023年に代表を受け継ぎ、社長としてのキャリアはまだまだこれからです。今後もお客様に安全安心な国産米のお菓子をお届けするために、そして地域をはじめ当社を取り巻くすべての人との繋がりをより強くしていくために、引き続き高い品質へのこだわり、確かな加工技術に基づいた商品づくりを守り抜いていきます。

編集後記

コンサルタント
皆川 暁洋

「地域と繋がり、人との繋がりを大事にする」というエピソードが溢れ出たインタビューでした。この地で創業されてから、5代目である槇社長にも脈々と社風や考え方が受け継がれており、「何のために成長するのか」を非常に大切にされていました。

将来にわたってこの姿勢が変わらず、長岡から日本、世界へ文化を発信され続けることを確信し、力強く感じました。これからも同社の採用パートナーとして精一杯ご支援を続けていき、今後の発展を楽しみにしています。

ちなみに、私もよく訪れる各工場に設置されている直売店もおすすめです。同社の真摯さが表現された美味しい米菓をぜひご賞味ください。

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