採用が経営を変えた瞬間

企業TOPインタビュー

新潟を代表する企業の経営TOPに、事業ビジョンと期待する人材像についてお聞きしました。

酒蔵から、日本酒がキーワードのエンターテインメント企業へ。

菊水酒造株式会社
代表取締役社長 高澤 大介

更新日:2021年2月10日

新潟県新発田市生まれ。1982年、東京の大手百貨店に入社、婦人服や雑貨の販売を担当する。85年菊水酒造に入社。89年専務、2001年には代表取締役社長に就任。以降、さまざまな「改革」を仕掛け、全国の日本酒ファンから高い評価を得ている。
※所属・役職等は取材時点のものとなります。

北越後・新発田で営む酒蔵の5代目として

菊水酒造は新潟県新発田市にある酒蔵です。初代の高澤節五郎が創業したのが明治14年(1881)と、酒蔵の中では歴史は比較的浅い方で、私で5代目です。私自身は東京農業大学の農学部農業経済学科を卒業後、株式会社伊勢丹に入社させていただきました。昔で言えば丁稚奉公に出るような形ですね。新宿本店の婦人セーターや洋食器、お酒などの売り場を経験した後、新潟伊勢丹がオープンするということでそちらに移り、合計3年くらいお世話になりました。

蔵元の後継ぎはアルコールメーカーや発酵会社などの醸造系の会社や問屋さんで修行するのが一般的ですが、私が百貨店に行ったのは、お客様のライフスタイルを知りたかったからです。初代は味噌・醤油を作っていた蔵元の息子でしたが、16歳の時に当主から酒を造って生計を立てなさいと言われて分家し、ゼロから挑戦を始めました。その時、一番大事にしたのは、地域のお客様がどんなお酒を好んでいるのかを知ることでした。

初代と伊勢丹から学んだお客さまへの思い

始まりがそうだったので、お客様のお声に耳を傾けることの大切さは代々受け継がれてきました。私が百貨店に行ったのも、そこにと深くつながっていますし、学んだことは私のバックボーンになっています。何かを判断しなければいけないときは「お客様はどう思うか」ということが基準ですし、それが全ての原点ですね。

ファミリービジネスによくある話ですが、事業のなかで私の力でやった仕事というのはひとつもなくて、代々が築いてきた基盤や蓄積の上で当代が仕事をしているだけなんです。1995年から正式に始まった輸出も、輸出会社のディストリビューターに出会ったのは父で、それもアメリカの寿司ブームを仕掛けた金井紀年さんという傑物がやってきて、話を聞いて即決したことがいまの発展に繋がっています。

当代が形あるものを作ったとしても、それを無事に作れたのは過去からの流れがあるから。でも、それに気づいたのは50歳を過ぎてからですね。若い頃は、自分が、自分がという感じになるものです。それを次の代も同じように感じてくれるかどうかと思っているところです。

1990年を境に日本酒が時代に取り残された理由

私が社長に就任したのは2001年ですが、1973年をピークに日本酒全体は下降線をたどり始めました。それでも新潟の酒は地酒ブームもあって1990年代も持ちこたえ1996年にピークを迎えましたが、その後はすごいスピードで落ち始めました。地方の蔵元はまじめですから、良い米を仕入れて、磨き上げて、丁寧に醸して物性品質を上げてきた。それなのに受け入れられなくなって、あの頃、蔵元が集まるとみんなが「こんなに旨い酒、過去最高水準の酒を造っているのに、どうしてお客様は買わなくなったんだろう」と言っていました。当社も品質については人様の後塵を拝するようなことはないという自負はあったものの、売上は落ちてくる。何が原因だろうと思っていました。

そんなとき、たまたま土蔵の片づけをしていたら、父が集めていた車のカタログが段ボール3つ分出てきた。古いものもありました。私も車が好きなので見ていたのですが、その時、ものすごいインパクトを受けました。昔のカタログは「この車すごいでしょう、時速〇〇km出ます、手に入れるのは夢です」と書いてある。一方、90年代のものには性能は一切謳われていなくて、「この車を手に入れたら、家族みんなで出かけられますよ」と、ライフスタイルの提案をしている。まさにモノとコトの違いです。「我々酒蔵はモノだけを追いかけてきて、お客さまへの提案が抜けていたのではないか」。そう思い、背筋が凍るような感覚を味わいました。

生き残れるのはモノとコトをバランス良く創り出せる蔵元

90年代以降の日本は極端な円高で、海外からも多彩なものが安く入ってくるようになりました。お客様は「選択する」という新しい楽しみを得て、ライフスタイルがどんどん多様化していった。そのなかで日本酒だけが取り残されていたんです。このままではいけない、我々もコトづくりをしていかないとだめだと思いました。酒蔵がコトづくりをするためにはインフラを持たなければと考え、数年かけて構想を練り、法人設立50周年を迎える2006年を見据えて誕生したのが菊水日本酒文化研究所です。脈々と受け継がれてきた文化の中に日本酒もあるので、コトづくりのソースは文化。各時代の文物をカテゴライズして収集し、そこからさまざまなコトを提案しています。レストランだったら、日本酒でこんなことができますよという提案をする。意外とアメリカのお店もすごく喜んでくれますね。

私はこれから先、蔵元として生き残れるのは、モノとコトをバランス良く創り出せるところだと思っています。我々は北越後の大地の恵みをいただいてお酒を造っている訳ですが「そもそも我々の酒とは何なのか」と考えると、単に酔えるものを作っている訳ではないというところにたどり着く。では、我々のミッションは何かと言えば、お客様の心豊かな暮らし、心が安らぐようなひとときをご提供することになるはずなんです。

エンターテインメント企業へ脱皮するほどのブレイクスルーを

こう言うと違和感を覚えられるかもしれませんが、我々は蔵元からエンターテインメント産業にまで脱皮しなければいけないと思っています。時代が変わり、お酒を飲む人が変わります。世代の共通価値観を作る大きな出来事も、世代によってすでに違ってきている。いま、多感な10代を過ごしている人たちは、この新型ウイルスの時代からどんな価値観を得て、どう行動するのでしょう。だからこそ、今までと同じやり方ではいけないし、お客様に暮らしを楽しんでいただくためにはエンターテインメント企業に脱皮しなければいけない。そのくらいのブレイクスルーをしなければ、残っていけないという思いがあります。

もうひとつ、全てを自己完結型でやるのは難しいので、さまざまなアライアンスを組むことも重要だと思っています。今までは全く考えられなかったようなところとのコラボもあっていいし、そこから新しいものが生まれてくると思います。したがって、我々がこれから欲しい人材というのは酒造りだけに興味がある人ではないんです。実際、当社には中途入社が多くて、営業も多くが異業種から入ってきています。製造では、ディーゼルエンジンの設計技師だった人が転職してきて、数年で一級技能士を取得して、今までは経験値で行ってきた酒造りを定量化するということをやっていった。それによって出来の良い酒造りの再現性が高まりましたね。

課題に対して、上手くいっていない前例踏襲型でやっても成功しないのは当たり前で、全く違う視点からアプローチすることが大事です。そうしたとき異業種経験者がいることで、いろいろな意見が出るのがいい。それを我々が受け入れることができるのは、会社がチャンレジする体質であることと、自分たちにない全く新しいものの見方が必要なことを分かっているからだと思います。

共に閉塞した時代に風穴を開けよう

我々はお客様にとって面白いこと、楽しいこと、驚くことをやっていきたい。姿は酒蔵かもしれませんが、その実は人を楽しませる会社であり、酒を通じて、あるいは酒の裾野にある食品や農産物加工品を通して、お客様の暮らしを面白くすることに興味がある人に出会っていきたいです。こうした時代になって、東京や大阪などの都会が唯一無二の選択ということは無くなった。地価も物価も安くて、食べ物がおいしくて、教育も整っている新潟で暮らすという選択をする人もどんどんでてくると思う。自分の人生を面白くしたいと思っている人は、ぜひ一度会社を見に来てくださいと申し上げたいですね。

よどんだ時代に風穴を開けなければと多くの人が口にするけれど、自分で開けようとする人はなかなかいない。ネガティブなニュースをただ受け入れるのではダメで、それを踏まえて自分たちは何をするのか、元気が無いなら何をやってやろうか、ということです。風穴を開けてやるぞという気概にあふれた人を、我々は受け止めたいと思いますね。
日本酒や酒文化に対する、高澤社長の愛情溢れるお話に、その場で聞いている私も胸を打たれました。モノからコトを指摘する方は多いですが、高澤社長のように、実際にそれを実践して、試行錯誤しながら世に発信し続けられている方は、そう多くはないだろうとも感じました。「菊水日本酒文化研究所」の設立に代表されるように、伝統的な文化を守る意識が高い一方、国内だけではなく海外へも向けて新しい提案を続けてらっしゃいます。楽しいコトづくりのために全国からこの北越後に人が引き寄せられていく、そんな渦が巻き起こり、どんどん大きくなっていくことを確信した取材となりました。

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