才能ある人が輝ける社会を、地方発信で創っていく。
フラー株式会社
代表取締役会長 渋谷 修太
1988年生。新潟県出身。国立長岡工業高等専門学校卒業後、筑波大学へ編入学。グリー株式会社にてマーケティング事業に従事した後、 2011年11月フラー株式会社を創業、代表取締役に就任。2016年にはForbesによる30歳未満の重要人物「30 Under 30 Asia」に選出。2020年9月、新潟ベンチャー協会代表理事に選任。
※所属・役職、記事の内容は取材時点のものです。
高専時代のスター選手を集めて、23歳で起業。
フラーは2011年に創業し、顧客のモバイルビジネス成功を全面的に支援する「デジタルパートナー事業」を手掛けています。2020年には僕や共同創業者の櫻井の出身地である新潟に本社を移し、柏の葉本社(千葉県柏市)と新潟本社(新潟市)の二本社体制としました。僕は新潟へUターンし、現在は新潟市を拠点にしています。
僕が創業しようと思ったのは、長岡工業高等専門学校在学中の18歳のころです。プログラマーになりたくて進学したのですが、実際に勉強を始めたら、プログラミングが得意な人と比べると、自分はさほどでもないなと感じ始めました。
それより人と話したり、友達を巻き込んだりして何かを始めることが好きだし、そういう仕事の方が向いていると気付いたんですね。周りにはすごい才能を持っている人たちがいたので、「将来、この人たちと会社をやればいいんだ」と考え、経営を学ぶために筑波大学工学部に編入しました。
とはいえ「いつか起業しよう」という感覚だったので、大学を卒業してからグリー株式会社に就職しました。5年くらいは勤めるつもりでしたが、2010年にスマートフォンが登場し、「絶対にこれしかない!」と思ったので、23歳の時に会社を作りました。
高専時代に「将来、一緒に会社をやろう」と話をしていたメンバーに電話をかけて誘いましたね。学校のスター選手というか、圧倒的にプログラミングができた人や、東工大や千葉大に編入して学んでいた友人たちで、「これは10年に一度の波だ。想定より早いけど今やろう」と話して、集まってくれたのが創業メンバーでした。最初の10人くらいまでは、ほぼ全員が友達や後輩でした。
会社という船を大きくすれば、より多くの仲間を乗せられる。
僕自身はとがった才能を持っているというタイプではないので、一芸に秀でた人にすごく憧れます。日本は良くも悪くも5教科7科目を均等にきちんとやれる人が評価されますが、僕はとがった才能を持っている人が好きで、そういう才能が輝ける場所を創りたいし、そういう社会になるといいな、というのが根本にあります。
もうひとつ自分の本質的な部分で言うと、子どもの頃から親の転勤で転校が多くて、それがすごく嫌だったんですね。自分の意志に関係なく、住んでいるコミュニティや友達と離れなければいけないことが自分のなかで大問題でした。
高専は5年間寮生活で一緒にいられますが、一生仲良くしたい友達とも社会に出ればバラバラになっていく。じゃあ、自分が会社を作れば好きな奴らとずっと一緒にいられる、という思いも根本にあります。
僕が会社を拡大しようと頑張ってきたのは、事業を成長させたい訳でも、世界を取りたい訳でもなくて、会社という船が大きくなれば、一緒に働きたいと思っていた友達たちを乗せられるようになるから。会社が成長すれば、段々と呼べる人が増えるぞ、という感覚でしたね。
同じ組織で働くために重視するのは互いのミッション。
創業期、人を集めるときに大切にしたのは、相手の夢ですね。同じ組織に属するということは、共通のミッションがあって、そこに居るとお互いがwin-winになっている状態であるべきだと、思っています。ですから、僕の夢と相手が達成したい将来的な夢の両方が、一緒に居ることによって叶いやすい状態かどうかを重視していました。
時間の経過によって組織のフェーズも変わってくるものですし、フラーも5年前、10年間とは全然違う会社になっています。当時はミッションのすり合わせが上手くいっていたけど、今は合わなくなっているということも当然起きていますが、そのときは我慢せずに、自分が成し遂げたい夢を優先して生きてほしいと思っています。
最近はフラーから出て、起業する人たちも出てきました。人生一度だし、僕は相手のミッションを応援したいと思うので、やりたいことがあったらやった方が良いと思っています。
相談されると、すぐ「会社やればいいじゃん」と言ってしまいがちで、「渋谷は社員の離職を促進してしまう説」があるので、最近は社員と会いすぎないようにしている部分もあります(笑)。
組織も大きくなってきたので、現在は採用に関してはそれぞれの部署に任せています。当社はカルチャーとして人を大事にしており、一緒に働きたいと思える人かというのを採用において最重視してやってきていて、それを守ってくれているのでメンバーはいい人ばかりだなと思っています。
新潟に住みたい人がやりたいことをできる新潟に。
先ほどお話したように、僕は人生で大事にするものは自分で決めて生きていきたいし、大事な仲間たちもそれができるようしていきたい。2017年に新潟オフィスを作ったのも、後輩がお父さんを亡くして「母がひとりになってしまうので新潟に戻りたいけれど、新潟には自分が働きたいIT会社がなくて困っている」、という話がきっかけでした。
大事な仲間たちが住みたい場所に住めないとか、やりたいことができない、というのは僕の中では許せないことなんです。僕も新潟に住みたいと思ったら住みたいし、住むならその場所を心地よくしていきたいという欲求で生きていますね。
起業して約10年経って余裕が出てきたので、いまは新潟を元気したいというミッションで、地域や経済の活性化に関わっていこうと思っていますし、会社とは別に起業家やベンチャー企業が成功しやすくなるようなサポート活動も行っています。
フラー以外にも会社が増えていくことで、新潟に帰って来たい人が帰ってこられるようにしていきたいんです。自分の余裕によって、仲間の概念が拡張されている感じですね。
自分としてはリスタートというか、学びも多いし、久しぶりにワクワクしています。いろいろな人が入ってきて、この街がどう変わっていくのだろうかと想像すると、すごく楽しい。
会社を作るのは自分たちだけでコントロールできる範囲が大きいですが、地域となると長年の歴史があり、ステークホルダーも違ったりするので、またフィールドが別で大変なことも多い。でも、それもまた面白いです。
いまは県外にいる人が新潟に住みたくなる仕掛けを。
何かのミッションに向かう時、集まる人間の属性を制限してしまうと、成功確率は落ちるんです。地方のサッカーチームが地元出身の選手だけしか集めないと負ける確率が高まるのと同じで、ベンチャー投資もある地域やセグメントに特化した投資をすると勝率が下がる。できるだけ幅広い選択肢の中から人選したほうが、勝てる確率は高くなるという訳です。
新潟の街を盛り上げていこうというとき、そこにモチベーションを持ちやすい人は、やっぱり地元の人や出身者で、もちろん素晴らしい人たちがたくさんいるんですが、それだけだと戦力が足りない。
そうすると、今は新潟県外にいる人のなかから、新潟に思いがある人を引っ張ってこないといけない。新潟に住みたくなってもらえる仕掛けをしないと仲間が集まっていかないので、それがチャレンジですね。そもそも人口を増やさないといけない話なので、先の長い挑戦だなと思っています。
「新潟に帰っておいでよ」。そう声をかけてあげてほしい。
僕はUターンで帰ってきたいと思っているであろう人たちの親御さんに伝えたいことがあって、それは親から「帰っておいでよ」って言ってあげてほしいということです。
人って、意思決定するとき、普通は誰かにプッシュしてもらいたいものなんです。親や兄弟姉妹や地元の友達から「戻っておいでよ」って言ってもらったら、その後は自分で調べて行動すると思います。
当社も年末年始にお茶の間で「こういう会社もあるんだから新潟帰っておいでよ」という会話になるようなストーリーのCMを流しますし、新幹線には「仕事を選べるわたしになった、居場所を選べる時代になった。だからこそ、新潟(ここ)に来た。」というコピーの広告を出しています。
少しでも興味がある人は、新潟に住んだらどんな暮らしなんだろうとか、どこに住みたいかな、どんな会社があるんだろうって調べてもらったら、きっと楽しいんじゃないかと思います。